最初の仕事は「企業理念」づくり~「人とシステムを作る」と決めて歩んだ10年を振り返る

今の時代、若手エンジニアが勉強したいと思えば、いくらでも教材や資料はインターネットで手に入る。だがそんな便利な時代であっても、やはり先輩たちの生きた経験に裏打ちされたアドバイスは貴重だ。本連載では、情報インフラ系SIerとしての実績の一方で、現場で活躍できるエンジニア育成を目指した独自の技術研修「BFT道場」を展開。若手技術者の育成に取り組む、株式会社BFT 代表取締役 小林道寛氏に、ご自身の経験に基づくスキルアップのヒントや、エンジニアに大切な考え方などを語っていただく。
社長になって最初の仕事は
「BFTの企業理念」をつくること
皆さん、こんにちは。株式会社BFTの小林道寛です。
これまでは主に若手エンジニアの皆さんに向けて、技術者としてのキャリアやチーム作りなど、比較的「仕事の現場」に近い話をしてきました。今回は少し視点を変えて、私が「経営の責任者」として経験してきた難しさや面白さ、特に「組織を育てる」ということの意味を自分なりに理解するまで、といったことを、少しお話ししてみたいと思います。
私が社長に就任したのは2015年ですから、ちょうど10年前のことです。企業によっては、社長交代は大騒動になるところもありますが、私の場合、前社長からの事業承継は驚くほどスムーズでした。というのも、前の社長がもともと仕事を人に大きく任せる方針の人で、社長交代も私に「丸投げ」してくれたからです。当時のメインの事業が、私が長年推進してきた案件だったこともあって、私にとってはありがたい引き継ぎ方でした。
そして、社長になって最初の仕事というのが、当社の企業理念を作ることでした。実はこの時まだ当社には、いわゆる「企業理念」というものがなかったのです。実は私も「えっ? まだなかったの?」と驚きました。もちろん行き当たりばったりの経営ではなくて、前社長が「組織文化や風土があれば、額縁に入れた理念なんていらない」という質実剛健タイプで、それが会社の空気にもなっていたのです。
でも、私自身としては社長を拝命して、自分がこの会社を経営していく上で「どこに向かって行くのか」を明確にしないと、やはり心もとないと考えたのです。ちなみに、その理念とは「何年までに売り上げをいくらに増やす」といった話ではなく、「私たちは社会の中でどんな存在であるか」を決めることです。それを自分たちの中で明確に目標に据えて、会社を経営していくんだという気持ちでした。
もちろん企業として利益を出し、会社を成長させるのはとても大事なことですが、私としては大勢の人たちと一緒に仕事をする中で、社員やお客様、パートナー企業の方々に、私たちがどういう存在で、どこに向かおうとしているのか=同じ目標・利益を共有できる関係性であるかどうかを明確にしたいと考えました。
そうして生まれたのが「人とシステムを作る会社」という理念です。システムだけじゃなくて、それを作る人も育てる。その両輪で、社会に価値を提供していく。この考えは、今でも当社の軸になる考え方として生き続けています。
「数字は後からついてくる」なんて、
最初は誰も理解してくれなかった
その次に取り組んだのは、会社にとっての「優先順位」を明確にすることでした。世の中の多くの企業では「株主→顧客→従業員」という順番が一般的ですが、私は「従業員→顧客→株主」だと考えたのです。というのも、私たちは上場していないので株主は自分たちです。それを株主ファーストなんて言ったら「私利私欲」に走っているようなものじゃないですか。
同じように「コンプライアンス→健全な組織→会社収益」という順番も大切にしました。法令を順守し、健全な組織を作り、その結果として利益が生まれる。「数字は後からついてくる」というのが私の考えでした。
ところが、これが当時は本当に理解されなかった。今でこそ「人的資本」という言葉も広まって考え方も変わってきましたが、私が就任した10年前はそんな言葉もなく、人をかなり「資源」として扱う風潮が、まだかなりありました。
当社も、中途採用で入ってきた人の中には、前の会社でそうした考え方に染まって「(多少の無理難題でも)そんなの、我慢すればいい話じゃないか」と言う人もいました。
でも、私にもすべき我慢とすべきでない我慢があります。「その考え方は違いませんか?」と言い続けました。でも「何が違うのか分からない」という顔をされることも多かったし、どうしても折り合えずに辞めていった人も少なからずいました。もちろん、意見が合わないけど残ってくれた人もいます。残ってくれえたのは「なるほど、違う考え方をするんだな」と受け入れてくれた人たちです。
私は社員に「会社の理念がこうだから、あなたもこうしなさい」という言い方はしません。そうではなく「あなたの考えと会社の方向性に重なるものがあれば、そこはお互いに力を合わせられるのではないでしょうか」という問いかけを重ねてきました。その成果か、だんだん賛同してくれる人も、社内に増えている気がしています。
「組織の拡大こそが会社の成長」と
信じていた先に待っていたもの
一方で、社長になった当時の私は「組織の成長こそが会社の成長だ」と信じていました。とうのも、100人の会社なら受けられる限界は10人規模のプロジェクトですが、300人いれば30人規模のプロジェクトが受注できる。大きなプロジェクトを任せてもらうには、それなりの人数が必要です。
だから、10年前はひたすら組織を育てることに注力しました。若い人を採用し、育て、リーダーにしていく。そのサイクルを回し続けることが一番大切だと思っていました。従業員ファーストの理念も会社が存続できなければ絵に描いたモチです。社員にも「売上を追うのではなく、組織を成長させることを追っていこう」と言い続けていました。「人とシステムを作る会社として、私たちは社会に価値を発揮していこう」と言い始めたのも、この頃です。
果たして、それはうまくいきました。いや、いっているように見えました。社員は増え、プロジェクトの規模も大きくなり、お客様からの評価も上々でした。サービスのクオリティが下がったなどという声も聞かれない。みんな居心地よく働いているようです。でも実は、この「改善を繰り返していく」というアプローチそのものに、大きな落とし穴があったのです。
「この人の代わりは誰?」
「いません」という会話で気づいた危機
社長になって5~6年が過ぎた頃でしょうか。私の中で違和感が積み重なっていきました。「いままで、こんなことを言う人間はいなかったな」という場面が増えてきたのです。そして、ある日のこと。なにげなく「この人、ずっとリーダーをしているけど、この人の代わりは誰?」と聞くと「いません」という答えが返ってくる。「えっ? どうしてそんなことになるの?」と驚きました。
私と一緒に働いてきた人たちは、期待どおりのすばらしいリーダーに育っていました。しかし「では、その人たちが次のリーダーを育てているのか」というと、実はそうではなかった。
さらに驚いたのは、自分は教えてもらって育ったにも関わらず、「なぜ人を育てないといけないのか」という疑問を持つ人まで出てきたことです。それどころか「今の新しく入ってくる人たちには、意欲が見られないから育てたくない」という声まで聞こえてきました。
後から勉強して知ったのですが、これは組織学習理論でいう「シングルループ(一次学習)の限界」に関連する現象のようでした。より良い組織を作ろうとして改善を繰り返し、ずっと繰り返していくと、ある時突然破綻することが、学術的にも証明されているそうです。
具体的に言うと、当時の私たちの組織は全体としてボトムアップ的な気風になっていました。「できない人を助けよう」「できない人をできるようにしよう」という意欲はとてもあったのですが、その陰に隠れる形で「できる人の能力をもっと伸ばそう」ということが、かなり手薄になってしまったのです。
しかし、みんなそれに違和感がない。仕事は回っている。パッと見たところは「とても、いい感じ」なんです。でも裏の見えないところでは、不健全な状態が進行していました。これは、もし失敗すれば、そのまま会社の破滅につながりかねない。私は、大きな危機が忍び寄っていることに、この時ようやく気づいたのです。
危機的状況の打開に向けて
組織ドリブンから事業ドリブンへ大転換
この危機的状況を乗り越えるために、私は大きな決断をしました。これまでの「組織ドリブン」から「事業ドリブン」へ、まさにBFTの組織づくり、人づくり体制のパラダイムチェンジです。
そのために、人事制度も大幅に変えました。長年、一所懸命に組織作りに貢献してくれた人たちの努力に報いるような収入から、事業活動に対してどんな役割を担っているのか、その役割の大きさに応じた収入へと、ドラスティックに評価軸を変えたのです。
しかし、これは本当に大変でした。みんな危機的状況に気づいていないから、「なぜ、そんなことをするの?」「突然、それはあんまりじゃないの?」という反応でした。ここからが特に大変だったのですが、その大変さは今なお進行中です。一人ひとりに、その変革の意味や目的を理解してもらいながら、日々の仕事を回していくのですから。
でも、面白いことに変化をキャッチする能力の高い人は、すぐに適応していくんですね。「いいじゃん」「思いっきりやろうよ」という感じで「前より裁量も与えられているし、やりやすいよね」という人も出てきました。
それでも、やはりまだ転換は道半ばです。大きいのは、事業ドリブンに変わったけれど「人とシステムを作る会社」であることは変わらないということ。この両立を本当に頑張らないといけないと、日々、自分を戒めています。
あと、経営者としての重要な仕事は「やらない」判断もあります。例えば、当社では派遣契約の仕事は請けていません。昔はありましたが、私たち自身が責任を持ってスタッフを育成・指揮し、確実に価値を提供できる方針に切り替えたのです。派遣なら取れる案件を断るのは勇気がいる判断ですが、最近は正直にお伝えすることで、お客様が理解してくださるケースも増えてきました。
技術的な流行への対応も、重要な経営判断の1つです。当社は「新しいものはどんどん取り込んでいく」というスタンスですが、その際の判断には社員の声を参考にします。でも、全員が「やった方が良いですよ」というのはもう遅い。「これって、次、ぜったい来ますよ」という声を拾っていくのです。新しいことにアンテナの高い社員が多いからこそできる、当社ならではの社内リサーチです。
「共感力ゼロ」と言われても
めげずに「原点」を大切に進んでいこう
最後にちょっとカッコつけて、私自身の「経営の原点」についてお話しさせてください。実は私の中にはずっと、26歳の時にある方から言われた「社会に貢献することを誓いなさい」という言葉があります。当時は「え、なんで?」としか思いませんでしたが、その「なんで?」という疑問はずっと私の中にありました。そして今振り返ると、これは自分の人生の中でとても大切な問いだったのです。
今なら、あの時の問いに少しは答えられます。おそらく「社会に貢献する」とは、社会の一員としてより良い社会を主体的に作っていくことを指していたのでしょう。私はシステムを作る道を選びました。だから私は、今のBFTの仕事を通じて社会に貢献していく。それが私の答えであり、自身に課せられた役割だと思っています。
それで思い出したのですが、最近ある若手社員に「小林さんって、共感力ゼロですよね」と言われたのです。「えっ、ゼロ?」と驚きましたが、不思議と不愉快ではありません。むしろ清々しい気分でした。若者にツッコまれて「よし、共感力ゼロでもやってやるぞ!」と思ったのです。
実際、その社員の言葉は26歳の時の「社会に貢献することを誓いなさい」と同じくらいインパクトがありました。自分の欠点をズバリ指摘されて、「ならば、人との接し方を考え直したり、自分の良さを理解してもらえるように変わらないといけない」と、へこむより励みになるんですよね。
経営の将来像としては、例えば海外も含めていろんな会社を展開する中で、多彩な人材を育てるとかも良いですね。そうしてグループ経営を進めて「社長だらけの会社」なんて面白いかもしれません。でも、そうやって増やしたいのは、実は社長という肩書きではなく「もっともっと社会に影響力を発揮していこう」という志を持つ人たちです。そういう人たちが会社のあちこちに群雄割拠でひしめいている状態を想像すると、ちょっと面白くないですか。
経営者になって10年、失敗は山ほどしてきました。やればやるほど、失敗は増えていきます。でも、大切なのは失敗に耐えられるようになること。「ああ、間違えちゃったな」で済ませて、次に進むことが大事だと、ようやく思えるようになりました。皆さんも将来、そんな悩みに直面する日が来るかもしれません。その時に、私の話を思い出していただけたら嬉しく思います。
さて、次回はどんなテーマを取り上げましょうか。よろしければ、どうぞ引き続きお付き合いください。
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